9年の時を経ての再会*\(^o^)/*
随分と以前の話(笑) 福岡の韓国教育院で韓国語を学んでいた頃に出会った私たち。
晶子センセは院長先生の推薦を受けて一足先に全羅南道の木浦(モッポ)の高校に日本語教師として赴任。後追う様に私も全羅南道の順天(スンチョン)の高校に。
全羅南道には、あと羅州(ナジュ)、麗水(ヨス)に日本人教師がいて、ワークショップの準備や研究会などあれば、4人度々集まっていた。
数週間の研究会では、寄宿舎の同室で寝食を共にした事も。
その時、晶子センセは早朝に1人起きてマラソン大会に備えての走りに行ったり、率先して授業の準備をしてくれたり、ホントに頑張り屋さんだった。
私は2年の任期を終えて、福岡に戻ってしまったけれど、晶子センセはモッポの高校から、ソウルの大学に場所を移し日本語教師として活躍してた。
「必要な物送りますよ〜」と常々心に掛けてくれ、私もちゃっかりハングルPOPアートに必要な材料とか、韓国語の本とかお願いして、その度に快く買い揃えて送ってくれたセンセ。
今は、素敵なご縁でご主人と結婚され、5歳と2歳の可愛い女の子のお母さんになって、現在、ご主人の家族がいらっしゃるアメリカで暮らしている。
コロナ直前まだソウルにいる頃、福岡に帰るよ〜という連絡をもらって再会を楽しみにしていたけれど、コロナに阻止され再会は果たせなかった(;_;)
そんなこんなで、3年越しの再会を楽しみに柳川へ。
台風の影響で、柳川の町は静か〜開いているカフェを見つけ、久しぶり感を感じない女子トークの始まり(*^o^*)
短い時間だったので、思い出話しに馳せるというより近況報告的な会話だったけど、アメリカという土地で、精一杯生きてる事が伝わってきて、韓国映画「ミナリ」が頭を過ぎったり、小さな子供ちゃんたちが早々に懐いてくれたからか、何か妹の里帰りを迎える姉の様な気持ちになったり…
「子供達には日本人としてのアイデンティティを失ってほしくない。日本文化を伝えたい」とも話していたので、今まさに開催中の博多のお祭り「山笠」を是非見に来て〜とお誘いしたけど、今回は都合がつかず涙をのんだ。実に残念(。-_-。)
でも「毎年、帰ってこられる様に頑張ります!」っていう晶子センセの言葉に「私もアジト存続、頑張るよ〜!」(^_−)−☆
来年の「山笠」には、ご主人も共にみーんなで浴衣着て、熱い博多を感じてもらおう*\(^o^)/*
また一つ、ワクワクが増えた〜ありがと、晶子センセ♡